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忠犬ハチ公をご存知ですか?

ペットの葬儀、火葬が当たり前ではない時代。

実はこれが動物葬儀の始まりではないかというお話があります。

「忠犬ハチ公」

忠犬ハチ公を知らない日本人はいないと思います。
昨年7月から東京都の渋谷駅を中心に
「渋谷駅街区開発計画」が進行中です。
完成すれば、都内一高い駅ビルが完成するそうです。
ここでは、この開発計画の話ではなく、それに伴ってあの有名な
「渋谷駅前のハチ公像」を動かして開発を進めていく話があるそうです。
ハチ公といえば、
ハチは1923年(大正12年)秋、秋田県大館で生まれた。そう、秋田犬だったのです。
生後間もなく、当時渋谷に住んでいた東京帝国大学(現東京大学)農学部教授の上野英三郎博士の愛犬として迎えられた。教授が出勤する際には、いつも渋谷駅までお供をしていたということです。
しかし、1925年(大正14年)5月、上野博士が急死。
ハチは浅草の親戚にあずけられ、上野家も世田谷に転居しました。
ところが上野博士を慕っていたハチは、その後7年間も渋谷に通い詰めたそうです。
この様子が朝日新聞に報じられ、「忠犬ハチ公」として通勤客や近隣住民から可愛がられるようになりました。
銅像が出来た時は、ハチ公はまだ存命であったそうです。
そして1935年(昭和10年)3月8日
未明まで駅周辺を徘徊していたハチ公だが、午前6時ころ渋谷区中通の酒屋の店先で息絶えている姿を発見されます。
享年13歳。
ハチの亡骸は生前、通い詰めた渋谷駅の、とりわけハチのお好みの場所だった小荷物室に安置され、ここで告別式が行われたそうです。
遺骸の側には花が供えられ、近所のお寺からお坊さんが呼ばれ、お経が唱えられ、末期の水を口に含まされ、毛並みを整えられ、チョコレートなどのお供え物まで置かれたそうです。
多くの人が焼香に訪れ、駅はごった返したと伝えられています。

お骨はとういと、東京都港区にある青山霊園の、上野博士の墓所に寄り添う様に小さな祠があり、そこに眠るそうです。

当時のお話だと考えると、とても多くの日本人に愛された一生でした。

人と犬の関係を堅実なものにしたのは、

ハチ公が始まりだったのかもしれませんね。

上野博士とハチ公の絆は、犬と人を超えた関係であると言えますね。

まさに、家族として今は一緒に眠っていることでしょう。

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